神事芸能

■御神楽

(皆野町指定無形民俗文化財) 皆野椋神社の神楽は、二月の節分祭に始まり、四月祈年祭、五月八十八夜祭、六月龍神祭、十月例大祭と一年を通して賑やかに上演されている。明治16年、蒔田村(現秩父市蒔田)の椋神社の神楽師の指導により、秩父神社神楽が皆野村根岸(現皆野町大字皆野根岸)の稲荷大神社に伝えられ、これが皆野の神楽の起源となる。明治40年の合祀令により稲荷社は椋神社へ合祀され、神楽殿も椋神社境内に移築されたが、神楽団自体は「根岸の神楽」として独立運営され、椋神社祭礼時には出演依頼されて出向き、神楽を上演するといった状態が暫く続く。その後、後継者の著しい減少により、昭和39年。神楽の面・装束・用具などの所有権をはじめ、神楽に関する一切の権利が椋神社へ奉納され、ここに「皆野椋神社神楽保存会」が発足した。昭和50年代には、関係者の努力により後継者育成に力が注がれ、多くの少年たちが舞に奏楽に活躍した。平成に入っては、大人の後継者が根付き、更に保存の努力が続けられている。一幕一座方式で表すと24座が伝えられているが、現在上演可能なものは、「猿田彦命の舞」「湯笹の舞」「岩戸開き」「代参宮」「釣込み」「大蛇退治」「大黒舞」など約半数となっている。

 

■獅子舞

(埼玉県指定無形民俗文化財)皆野椋神社の獅子舞は、10月7日、8日の例大祭で行われる。下妻流と言われる風流系1人立ち3匹獅子舞、腰鼓のリズムに足元がぴたりと合い、舞踊的、様式的な美しさが特徴。神恩感謝、五穀豊穣祈願と感謝、家内安全、雨乞いなどの目的を持つ。起源は古く鎌倉時代と言われるが、古文書や記録類を焼失し詳しくは定かではない。現存する最古の獅子舞は桃山時代の作(皆野町指定民俗文化財)で、その歴史を伝える貴重な資料となっている。秩父庄司重忠、鉢形北条氏邦の家臣用土新左衛門など相伝え、時々の支配者の庇護を受けたと言われる。「大狂(おぐり)」「女獅子」「小狂(こぐり)」と呼ばれる3匹の獅子が時には仲良く遊び、又時には二匹の男獅子が女獅子を争奪する様子が描かれた、壱番から拾四番までの14庭(1演目を庭と数える)と番外3庭。また名物と言われる2匹の大神楽獅子(2人立ち)が皆野古来の屋台囃子の伴奏で暴れる「中入り大神楽」も合わせると18庭が伝えられる。最終演目「天狗拍子」、別名「16人ざさら」は、12匹の獅子と4人の仲立ちが舞う勇壮な舞。かつて例大祭において「天狗拍子」が演じられる頃は夕刻となり、「かがり火の獅子舞」と言われるようにたいまつを灯して演じられていた。現在中断している行事として、高張提灯と万灯を掲げ、椋神社と土京の遙拝所との間を獅子が道笛という18曲の笛太鼓を演奏しながら先導する、100人近くの荘厳な御神楽行列がある。例大祭において盛大に行われた。